へのへのもへじ

偉そうに思う事を書くだけ

反AI思想が絵師に多いのは何故か

別に絵師を攻撃したいとか貶めたいとかそういう事は考えていないし、筆者は生成AIというものを手放しで歓迎している訳でもない。

 

年末の帰省で見たテレビでは相変わらず「AIはすごい!未来を変える!人の仕事もなくなるかもね!てへ☆」といったクソ浅くて前向きな内容ばかりである。

 

とはいえSNSを見ると至るところに反AI思想が渦巻いている。

 

絵師に反AI思想が多いのは何故か。

自分で使っておいて何だが「反⚪︎⚪︎」というレッテルは便利だが悪質である。

 

まるで反対していることが悪いかのような、反社会的なイメージを彷彿とさせる気がするのは筆者だけだろうか。

 

もし反AIという表現に嫌悪感を得た生成AI反対派の方がいたら是非ほかに「反⚪︎⚪︎」とレッテル貼りされてる方々の気持ちを理解するきっかけにしてほしいと考える。

 

あなたが感じた嫌悪感と同様の気持ちを日々受けているということだ。

 

 

それはさておき、生成AIはイラスト・絵画のみならず文章や音楽も生成できてしまう訳だが、小説家や音楽家で生成AIに反対する声は(ゼロではないが)イラストよりは少ない印象である。完全に筆者の主観だが。

 

創作表現というジャンルの中で絵師(絵描き)が圧倒的に多いのかもしれないが、筆者的には「展開の余地のあるなし」という説を挙げる。

 

というのも、漫画家には積極的にAIを使う人もいるくらいだからだ。

 

漫画はもちろん、小説も音楽も前提として展開させる構造だ。(漫画や小説ならページ数を増やす、音楽や映像は時間経過でストーリーをみせる)

さらにその展開は作品の評価要素として大きなポジションを持つ。

 

 

反面、絵画やイラストは枚数を増やして展開を作ることも可能だが、基本的には1枚勝負である。

 

「1枚でバズれる突破力」がある反面「枚数を増やして展開させる価値」をほぼ求められていないように思う。

 

 

例えば、春夏秋冬をテーマにそれぞれの季節に合わせた4枚の絵を描き、その

4枚で1つの作品だと主張しても、作者の意図に反して受け手は自由に分離させて評価する。

 

「春夏秋冬の中なら春の絵が好きだなぁ」というように、4枚で1つの作品だと言ったところで、受け手が「春の絵が一番好き」となれば「春の絵だけ部屋に飾りたいな」みたいなことになってしまう。残り3枚の絵はどうでもいいのだ。

 

絵の場合、数を増やして展開をつけた所で単体絵の出来の良し悪しほど評価要素にならず、さらに受け手に自由に分離させられてしまう。(もちろん4枚全てを気に入る人もいるだろうが)

 

 

しかし、漫画や小説、音楽は「あのシーンが大好き!」とか「この曲はサビがやばい!」とか一部分に惚れ込んでも、そこだけ破いて他を捨てるということはしない。

 

それをした途端に破綻する作品の構造である。

 

弱小チームが勝ち上がる成功譚の「優勝した瞬間」だけ見ても面白くないのだ。それまでの葛藤や絶望のシーンがあるから感動できる。

 

 

この違い故に、絵師は「うまく展開させればまだまだAIには負けないわ」という思考になりにくいのだと考える。

 

なんならAIに否定的を通りこして「AI生成絵を使ってる奴は業界を殺してる!衰退はお前らのせいだからな!一生恨むからな!」というような投稿をする人も散見される。

 

絶望するのは自由だが、そこで絶望するならまず日本の政治のひどい有様に絶望するべきだ。

 

 

投票に行けとは言わない、せめて選挙にでも立候補してほしい。

AI云々のまえに政治家に殺されちゃうよ?笑

 

 

 

追記

1枚絵でも中にオブジェクトを詰め込みまくればストーリーを作ることは可能だ。

よくイラスト・デザイン専門学生が卒業制作で作るようなオブジェクトまみれのカラフルな作品などがそれである。(バカにしている訳ではないので誤解なきよう)

 

しかし、これらは(作者が有名などで)作品単独で売れる場合を除き、商業的な使い勝手がすこぶる悪い。

上品に文字を置いて人目を引くデザイン要素としてポスターやフライヤーに使うことは可能だが需要は多くないだろう。(実際にその手の学校の卒業制作展のポスターなどに採用されがちだ)

 

生成AIが侵攻したのは商業的に需要が多いポートレート的な人物1点イラストや背景イラストであり、特定の雑多な要素で魅せるイラストは侵攻できていないし、AIがそれをする意味もない。

 

生成AIイラストと親和性が高いのはフリー素材なのだ。使い勝手がよくないと意味がない。

現状のフリー素材とはどういうものか?を考えると生成AIの(現時点での)限界が見える。

 

AIが目指すのはつまるところ「効率化」であり、商業的に需要が薄いものを効率化したところで意味がない。裏を返せばAIが侵攻するところは大体「一定の需要が見込める」と推測もできるだろう。

 

 

SNSで反AIを叫ぶくらいなら、泥臭い事に価値を見出してくれるフォロワーを集める努力をしたほうが将来が明るいかもしれない。

 

昨今の人間は何かと「それが何の役に立つのか」を気にしすぎている。

だから生成AIみたいなゴリゴリに役立つことがひと目でわかる存在に危機感を覚えるのだろう。

 

 

ちなみにペガサスハイド氏は自身の動画のコメント欄でこのように述べている。

「AIが出てきたことで、イラストレーターの仕事がなくなることや、自分の絵の価値がなくなると思っているイラストレーターをどう思いますか?」というご質問が届いています。ありがとうございます。はい、AIが出てきたことで仕事がなくなったり、価値がなくなるイラストレーターは、そこまでの力しかなかったということだと思います。本当に素晴らしい世界観をお持ちの方であれば、AIが出てこようがファンは離れないと思いますし、仕事もなくならないはずです。(以下略)

引用:AIは人間に勝てるのか? 話題のnovelAIのやり方も解説 - YouTube

 

筆者のような人間が言えば「うるせえボケが!」で終わるが、プロとしてプレイヤー&講師の両方を経験してきたバチバチの絵描き(漫画家)が言うのである。

 

同じように考える絵師や漫画家は他にも数多くいるだろう。

彼らにとっては反AI思想をこじらせた絵師が勝手に脱落していく様子をみて希望を感じるかもしれない。嫌味な言い方ではあるが、それだけライバルが多いのだ。

 

 

そもそもだが、AIがどれだけ進化しようが何しようが、絵を描くことが好きな人はそんな事を理由に手を止めないはずである。

 

絵師の敵(ライバル)は絵師であり、AIにあらず。