人には何かしら「自分だけのジンクス話」がある。
他人と雑談したときにふと話したくなるようなジンクスを持っていることだろう。
- なぜかコンビニのクジは当たりを引きやすい
- なぜか外国人などによく道を尋ねられる
- なぜか猫や犬になつかれる
- なぜか大事な日に晴れる or 雨が降る
- なぜか興味のない人に好かれ、好きな人に好かれない
筆者が言う「自覚が先で体験は後」を聞いた後なら「こんなジンクス、望んでないし自覚なんかしてない!体験が先で自覚(ジンクス化)が後じゃないか!」と思うだろう。
しかし、そもそもの話だ。
「自分にはよく起こる」とジンクス認定したとき、それを掘り下げて考えた事はあるだろうか?
(人にもよるが)最速なら3回でジンクスを疑い始める。
1回目→何も思わない
2回目→え?また?
3回目→よく起こるなぁ(といってもまだ3回目だ)
これこそ、ただの思い込みも甚だしいのだが「よく起こっている!」という自覚をする頃には、その後もその状況が訪れやすくなるムーブをしている。
つまり、途中からは「自分にはよく起こる」という自覚が引き寄せている。(それが起こりやすい状態を自ら作り出している)
実際、友人や家族に話すときも「なんでかわからないけど、よくあるんだよね〜」という心境で淡々と話すだろう。これは引き寄せで必要な心持ち(姿勢)である。
ここで考えたいのは1回目と2回目(事の発端)である。
1回目の時点では「それが起こること」は意識に上がっていない。つまりノーマーク・ノーガードの状態で起きている。もちろん願望でもない。
ここは偶然起きたのだと思うだろうが、それが起きるきっかけとなった自覚を認識できていないともとれる。
よく「今の自分に起きたことは、どの時点での過去の私が引き寄せたものか?」という問いがあるが、人間は顕在意識で認識していないものはそもそも思い出せない。
理屈で答えなど出せないので偶然や運という結論になる。
だから「ほれみろ!体験が先で自覚(ジンクス化)が後なんだよ!」と言いたくなる気持ちもよくわかる。
顕在意識は都合がいいので自由気ままに解釈できる。
この手の話を聞いて「オカルトだ」とか「胡散臭い」とか思うのも顕在意識が自由に解釈した結果だし「あるかもしれない」と思うのも同様だ。
しかし、根拠と再現性を理屈で理解できるまで受け入れられない人間は、理解できるまで行動しない日々を引き寄せる。
(受け入れられないという自覚が、その場から動かないという体験を作っている)
しかし、理解するよりもまず動く人間は圧倒的な失敗もするが、圧倒的な成功もしている。
なぜなら「たぶん、ある。」でGOできるからだ。
「ある」も回数を重ねて自覚が伴えば根拠などなくとも「なぜか私の行く先々に”ある”んだよね」というジンクスとして回るのである。
ある人はこれを端的に「考えるよりまず行動しろ」と言うだろうし、そっちの方がスピ臭くなくなるが、今の時代には体育会系すぎるのだ。
行動にはメンタルが欠かせない。メンタルを無視した行動はすぐに頓挫する。
頓挫する時点で「ある」が当たり前である確信をできていない(できなくなっている)。
理屈ばかり求める人間に「頭でっかち」という悪口があるのがそのせいだ。
理屈はメンタルを補助することはできるが、メンタルの全てにはなり得ない。
ここで本来の引き寄せに戻るが、引き寄せ実践者は何かしら願望がある。
引き寄せの本質は「先にその願望を満たせる(あるいは満たした)という確信を持ってしまえ」という解説が多い。
- 願望が叶った状態を当たり前だと思え
- その状態になった自分を感じろ
- 理想の自分に今すぐなれ
全部同じことである。前述したジンクスの話もだ。
しかし、前述したジンクスの「なぜか起こるんだよね〜」の心境には「叶ってほしい!叶わないと困る!」みたいな現象化を求める感情は一切無いのである。
もし自分にジンクスめいたものがあるなら、それが起きる前の心境を思い出してみて欲しい。
「自分の日常にはよくある出来事である」という自覚が腑に落ちているからだ。
頻繁に起こることほど刺激を感じなくなるのが人間である。
転職に成功して年収が200万アップしたとする。
最初は喜ぶが、そんなのも3年目からは「今の年収が当たり前」という風に思うよう生活水準が上がったりする。
よく「願望を手放せ」とか「忘れた頃に叶う」といわれるのもわかる。
願望に執着してる人間は「それが当たり前になっている人間の姿」とは程遠いからだ。
願望に執着しているほど、それを当たり前に思えてない。
しかし、必死に願望を忘れよう忘れようと思うほど苦しいのだ。
自然ではない故に引き寄せはうまく作動しない。
昔狂おしいほど好きだった人を「今思えばなんであんなに好きだったんだろ?」と思うことがあるだろうが、その位の精神性じゃないと余裕が生まれない。
さらに筆者の考えとしては「常にワクワクとかポジティブとかは必要ない」と思っている。
例えば金持ちでも怒りっぽくていつもネガティブを振り撒いてる奴はいるからだ。
たまに詐欺師が捕まると儲けた額は何億と報じられるが、もはや行為が善良である必要すらない。(金を得るという意味ではの話、捕まるリスクは上がる)
ヒモ男やDV男がモテるというのも、最近の頂き女子もそうだ。
政治家なんか昔からずっとそうだ。
彼らは悪事の認識があろうと無かろうと、それでも強烈な自覚(ジンクス・確信)を持っているのだ。
引き寄せにおいて最も良いのは思考を止めること。
「なぜかそうなる。理由?知らん」でいいのだ。
理由が欲しければ「自分はなぜか運がいいからだ」とかでいい。
運が良い理由も「なぜか運がいいから運がいいのだ」でいい。永遠にこれでループさせていればいい。
別に嫌なことが起きても「ウンガイイノダ!」と感情を偽れという話ではない。
筆者なんかは嫌な対象にはモロに暴言も吐くし悪口も言う。(このブログを読めばわかるだろう)
筆者は「運が良い俺に意地悪したあいつには天罰が下る。あとムカつくから暴言吐いて忘れよ〜」といった具合だ。
逆に親切にしてくれた人には「運が良い俺に親切にしてくれたあの人には大きな幸福がやってくるだろう。たくさん良いことが起こるよ!ありがとう!」と確信しつつ感謝して終わる。
普通に喜んで、普通に怒って、普通に悩んでいい。
しかし、どうあがいてもふと我に帰れば「あ、俺は運が良い生き物だったのだ」という前提を思い出し安心するだけなのである。
それで実際、うまく回っているのだから。