へのへのもへじ

偉そうに思う事を書くだけ

「似すぎパクリ盗作」と騒ぐ前に考えるべきこと。どっぺるソングの存在

最近こんなサイトを見つけた。

 

lightwill.main.jp

 

結構前からあるみたいだが、私は全然知らずでひょんなことから巡り合い、しばらく読み込んで(使い込んで)みてからの感想になる。

 

安易に盗作やパクリ認定することの問題

 

このサイトをしばらくみて、各種投稿されている曲達を聴いてみて思ったことは下記。

 

 

  • 似ている曲を探すだけの用途ならアリかも

  • 自分の好きな曲の系統を分析する足掛かりになるかも

 

 

良い面ではそんなことを思ったが、実際はこんなところである。

 

 

  • 「どんな耳してれば両者を似てると思うんだよレベル」の投稿

  • 「雰囲気が似てる」など言いがかりにも程がある投稿

  • 似ないようにアレンジした形跡が感じられる物を似てると指摘する投稿

  • 「ひどいパクリ!最低!」など、投稿だけを根拠に盗作認定する投稿

 

 

全体的にひどい。曲がひどいのではなくユーザーの質がひどい。



日頃の憂さ晴らしやただのアンチだろと思わざる得ない「特定アーティストの曲だけやたら攻める投稿」をする人も見受けられた。

 

 

邦楽だけでもプロアマ含め何千万以上の曲があり、これだけ曲があれば被るのは仕方がない。

 



アーティストだって事前に全部調べられる訳もなく、調べられたとしたら大概過去の曲と被ってしまうとわかるし、それがダメだというなら最悪「曲が出せなくなる」だろう。

 

そんなのはもはや早い者勝ちの世界であり閉塞感しか生まない。
鬼の首をとったかのようにここに投稿を続ける人たちは何がしたいのか?

 

 

 

似ていることに過剰に反応する人たちのおかしさ

 

作品に対して過剰にパクりや盗作を疑う人間は2つの視点が欠けている。

 

  1. 大衆音楽という構造上「人々に受け入れられる旋律」に範囲ができてしまうこと理解していない

  2. 盗作だ!と判断するに至った元曲(サイトでは原曲と表示される)自体は「どこからもインスピレーションを受けていない正真正銘のオリジナルか?」という疑問を抱けていない

 

1については「メロディは無限だ」とか言う人もいるが、あくまで「(一般的に大衆が)聴くに耐える旋律かどうか」を考慮できていないからそんな事が言えてしまう。

 

 

「ノイズミュージックだってあるだろ」という輩はノイズミュージックが大衆ヒットチャートに乗って音楽番組や有線でバンバン流れてんのか?を考えてみてほしい。

 

 

ジャンルに貴賎はないが「明らかに大衆受けしない音楽」は存在しているし、パクリを避けるためにそっち側(大衆受けしないもの)のエッセンスを取り入れろよというのは無理がある。

 

 

 

そういう意味で「(より多くの人への)親近感や共感」を出した途端に必ず何かに似てしまう。というか「似ている」と判定できてしまうことは(1要素として)「大衆音楽の水準にある証」とも言える。

 

 

2については「パクりだと声を荒げる人間に教養がなさすぎてがただの妄言or暴言にしかなっていない」という点。

 

冒頭のサイトでは「原曲」「被曲」という表記で似ている曲同士が比較しやすいようになっている。(ご丁寧にYoutubeのリンクまでついている)

 

 

「この曲(被曲)はこの曲(原曲)と似ている!パクリだ!」と騒ぐ前に、「この曲(原曲)もまた何かと似ているのでは?」という可能性は考えないのか?

 

つまるところ「自分の知っている曲と似ている」だけでパクリだ盗作だヘチマだのと騒いでいるのである。

 

 

彼らの中では「自分の知っていた曲」は他に類をみないオリジナルであり、他の曲と被っている可能性はないと考えている。なんてキチガイだろう。

 

でなければ、もし彼らがその可能性を疑う知能がかろうじて残っているのであれば「この曲より過去に存在しているこの曲と似ているこの曲は・・・」と永遠に過去を調べ尽くす必要がでてきてしまう。

 

その時点で「オリジナルなんて無いのでは?」という結論に至るべきであり「両者は似てる曲ではある。以上。」で終わる。

 


それ以上の感想は出せないのである。

 


実際盗作したかどうかさえわからない。アーティスト本人が自白するか、アーティストの横でパクったと言える経緯を見てない限り100%無理だ。

 

メロディラインと展開が似ていて限りなくクロだとしても、それが偶然の一致であることも毎秒生み出される曲の多さを考えれば100%盗作とも断定し難い。

 

ましてや自分の知っているものとの比較、あるいはそのサイトで両者を比べて似ていたからといって「パクリだ!盗作だ!」と騒ぐのは異常だ。

 

「似過ぎ。これやばいでしょ」みたいなコメントも多数あったが、やばいのは彼らの頭のほうだ。

 

 

そもそもだが、世の中のファッションもメイクも髪型も、バッグもスマホも車も家も家電もありとあらゆるものはパクリの繰り返しだ。

 

「俺の表現は完全オリジナルであり誰も何もパクってない」というのなら是非一度見てみたい。

恐らくSNSでそれを主張したらすぐ有名人になれるハズだ。

 

 

なんなら見た目のみならず言論や思想、生き方でさえ全ての人間は誰かをパクっている。

 

誰かの本を読んで、あるいはスピーチを聞いて名言じみた言葉に感化された奴は自分より下の存在に「さも自分が見つけたかのように」それを話す。筆者自身もそうだ。

 

このパクリに対する見解もまた、筆者オリジナルではなく「過去に誰かが言っていて納得した内容の焼き直し」に筆者がほんの少しばかりの色を付けたものに過ぎない。

 

この考え自体を「⚪︎⚪︎も同じこと言ってた!パクリだ!」と騒がないのは何故か?

 

 

それはそいつが無知だからに過ぎない。

無知は無知故に何かにハマれる純粋さを持つが、無知故に自分自身や自分が見知ってきた内容こそがオリジナルであるという致命的な勘違いをする。

 

子供が歳を重ね、手の届かない世界をみて「自分は井の中の蛙だった」と落胆するのはそのせいだ。その落胆は必然である。

 

逆に色々見てきた大人であれば身の程を知っているのでフットワークはどんどん重く謙虚になる。それが行きすぎると「どうせやっても無駄」とか言い始める。

 

 

 

これから音楽を作る人、すでに音楽を作っている人に

 

もしかしたら「過去にメロディがパクリだと言われてトラウマなっている人」も多数いるかもしれない。

 

このような曲比較サイトを見て「誰とも似てないメロディにしないと!」と自分を追い込んで悩み、いつまでも曲を作れず、楽しいはずの音楽ライフを送れていない人もいるかもしれない。

 

でも、わかる人はわかっている「何にも似てないものなど作れない」
そんなものは奇天烈すぎてほぼ誰も評価しない。(一部のキテレツ君は評価するだろうが)

 

ある曲に似ないようにいじった結果、そのせいでどこかの曲に丸被りすることだって普通にあるだろう。

 

なぜ「その曲だけを避ければパクリだと言われない確証」を持てるのか?ネットが当たり前の今、メジャーのみならずネットでプチ有名なインディーズと被る可能性もある。

 

メジャーな曲だけ被ってはダメで、インディーズなら被っていいなんて道理はない。それが許されるなら「商業出版されてない本や同人誌は丸パクりしていい」という理屈になるだろう。

 

さらに言えば、外国人や海外在住の日本人から「そのメロディまんまうちの国のヒット曲にあるわ」という指摘を受ける可能性だって当然あるのだ。

 

巷では「歌っちゃお検索」などを使えば確認できるとか言うが、あれは一部のメジャー楽曲程度しか探せない。あれで「誰とも被ってない」と安心するなんて愚かにも程がある。

 

さてどうする?もしかしたら今後AIなどが自動で似ている曲を判別してくれる可能性もあるが、そもそも生成AIで曲が生成できる時代だ。

 

今後「似たような曲」などAIが山ほど自動で作ってネットを埋め尽くすだろう。

イラスト生成AIを見ればなんとなく予測がつくことだ。

 

結論、気にするだけ無駄である。

故意にパクる気がないなら完成品が似てしまってもそれもまた人生である。というか絶対どこかの何かに似ている運命である。

 

 

これは絵の世界でも同じである。「今までに誰も見た事がない動物を描こう!」とディグダアンノーンポケモンのね)みたいな生物を描いても誰も「これ動物じゃねーだろ!」というツレない評価しかくれない。

 

動物は世間一般では4足歩行だったり、フサフサした毛があったり、犬や猫みたいな形状の耳があるからだ。しかしそんな特徴を採用した時点で「犬や猫に似てる既視感ありまくりの動物」でしかない。

 

大衆が理解・共感できる要素を入れればパクりに近づき、大衆が理解できない要素はそもそも評価されない。もっと言えば認知されない。

 

ヒットチャートを賑わせるアーティストは過去を焼き増しつつ現代風な演出をしている。あとは音楽性以前にルックスの良さで売っていたりする。

 

音楽の評論家は「⚪︎⚪︎が斬新」などと新しく出たアーティストがいかに革新的な音楽性かを解説しては持ち上げるが、はたして本当か?

筆者は「昔誰かが試したけどほとんど見向きもされなかったソレ」が時代とタイミングを経て日の目を見たのであろうと考える。

 

そして音楽そのものに興味関心、感度が一番高くなるのは若い頃だ。

若い人は良くも悪くも歴史を知らない。だからそういう持ち上げすぎる評論家や自分自身の無知さと相まって「これがオリジナル」という錯覚を起こす。

 

そこを修正できずに歳を重ねれば「大人のくせにオリジナルがどうこう言い続ける痛い奴」になる。

 

 

そして、そういう意識でパクリだ何だと騒ぐ奴らは究極「気に食わないアーティストが失墜する様をエンタメとして見たい」だけであろう。


一部のわかってない人間が週刊誌の不倫報道のように騒ぎ立てることが負のループを作っている。

 

 

だから似てしまうことを過度に気にする必要はないと考える。

それを気にして作品が世に出ないことの方が問題である。

 

 

 

そもそもアーティストや作家だってプライドがある。

「じゃあわざとパクった作品作ってもいいって思ってんのか?」という反論をする人もいるだろう。

 

筆者としては「そんなくだらねぇ感性しかねぇくせにアーティストや作家を名乗りたいならわざとパクればいんじゃね?自分の心が一番わかってんだろ」と言いたい。

 

「他人の作品真似て評価されて儲かって作家人生万々歳!」そんな奴はアーティストや作家とは思わないし、そもそもクソダサいだろう。

 

昨今流行りの承認欲求モンスターならいざ知らず、多くの作家は「自分の表現で評価されたい」と願うはずだ。

 

 

安直に他人の作品を真似て評価を受けた所で何が楽しいのか?

 

そんな創作に対する心の根っこを理解しているなら世の中にある似た作品は「たまたま似てしまった」と解釈する余裕を持ってもいいのではないか?

 

 

「似てしまった」と「わざと似せた」は違う。

でもそれは他人からは知り得ない。でも自分の心は確実にわかっている。

 

そんなクソダサ自称アーティストはきっとかなり少ないだろう。

だからこそ受け手側も大人な対応をするべきであり、それもできない精神性の国になったというならもう日本は落ちても上がれない。

 

 

ちなみに作曲家が直々に訴えた例では記念樹事件がある。知っておいて損はないが第一審と第二審で判決が覆るあたり「なんじゃそりゃ」としか言えない事件ではある。

記念樹事件 - Wikipedia ja.wikipedia.org  

比較サイトよろしく、聞き比べの動画がある。

筆者としては「まー少し似てる所があるかもな。以上。」でしかない。