筆者が中高生だった時、ユニクロは「ダサい奴や服に興味のない奴の選択肢」であった。
しかし、いまオシャレとされSNSで活躍するインフルエンサーなどを見ると、普通にユニクロやしまむらなんかを混ぜて着ている。
穿った見方をすれば「安物を混ぜることによる親近感の演出」とも取れるが、それでもトレンドを作る側になった以上、彼らのそういう行為は「ダサくない」という風に周囲から認知されていくし、実際ダサくはないのだろう。
もちろんブランド=オシャレはあり得ない。
しかし、昔は全身ユニクロといえば「おっさんかよww」なんて到底オシャレとは言い難い扱いで見られた。少なくとも私の周りにはそういう風潮が確かにあったし、ネットを見てもファッション掲示板などでは目の敵にされていたものだ。
センスのある人がユニクロで表現し出したのか、ユニクロ自体がオシャレになったのかはわからないが、もはや全身ユニクロで人と会っても何の気兼ねもしない。ダサいとも思われないだろう。
むしろ(大衆のトレンドを汲み取れない人であれば)下手に自分で洋服を選ぶ位ならユニクロのモノトーンで固めた方が減点は免られるといった事態だ。
そして、かつて賑わっていた小さなドメスティックブランドやインポートブランドなどは随分と淘汰されていったようにも感じる。
ユニクロ以外にも、比較的大きな企業が「低価格で方向性を感じるブランド」を充実させてきている。
例えばアダストリアだったり、あるいはビームスなどのセレクトショップが自らオリジナルの衣料を充実させたりしているのもそうだ。
昨今あの「ワークマン」がアウトドア系のファッションなどで支持を得始めるのだから、もはや何でもアリだ。
現在の有様を20年前の人々に見せたら驚くだろう。もはや誰も信じてくれない規模の変化である。
そういえば、アニメやオタク文化も随分と変わってしまった。
アニメやオタクと縁を持つ必要すらないであろうイケメンや美女までもがそれを趣味として語り、自身の特徴やライフワークとして個性化するようになった。
ファッションの流れと似ている。
「ダサいとされていたものを誰かが取り上げ、第一線まで押し上げていく」
面白いのはこれが逆転ではないということだ。
オタク文化が素敵な個性として受け入れられ、ユニクロがオシャレアイテムとして活用される昨今「では、昔カーストの高かった人たちが好んでいたイケてる文化が逆にダサくなるのか?」というとそうでもないようだ。
ダサくなったものは純粋な流行り廃りの範疇であり、カーストの高かった文化そのものを改めて評価し「ダサい・キモい」のレッテルを貼ることはまずない。
現に「ギャル」というジャンルのカーストは昔から高いが、形は変われどダサくなってはいない。むしろオタクとギャルを親和させようとするコンテンツもあるほどだ。
イケてる文化はそのまま残り、その領域に「ダサかった文化」がイケてるものと抱き合わせで食い込んでくる。
そして「オタクに寛容なギャル」あるいは「表向きギャルだけど、実はオタク」みたいな表現で提案される。
となると、今現在ダサいとされているものも取り込まれるのは時間の問題である。
20年前の人に「将来は全身ユニクロでデートしても何も思われないし、ワークマンで服を買う女性がいる」なんて言っても???と思われるようなことが当たり前になっていく。
人によってはこれを多様性だと言うかもしれない。
(なんでもかんでも多様性でひどい事になってるジェンダー分野はどうかしてるが)
筆者個人としては「良し悪しなんて洗脳次第」ということである。