この世に焦る必要のあることなど究極的には何もない。
他人の成功や結婚は、それを得ようとして得られていない人達を焦らせる。
口では祝福していても、内心は「自分が残り続ける焦燥感」に苛まれている人もいるだろう。
「次は自分の番だ」と前向きに捉えてもいいが、この感情は「自分には順番がこないかもしれない」という感情の対極にあるポジティブ思考であることが多く、ポジティブが維持できなくなると一気にネガティブに転じる。
そもそも「なぜ焦るのか?」を考えたことがあるだろうか?
焦りを感じる事柄の裏には「幸せ」がくっついている。
つまり「早く幸せになりたくて焦る」のである。
しかしこれは幻想である。
仕事で成功しようが、結婚して家庭を築こうが、そこに幸せの保証はない。
人間は目に見えるものを信じ過ぎてしまう。だから「他人が幸せそうに見える=これが幸せなんだ」と錯覚する。
- 仕事で成功して幸せなら後に破産しようが、過労やストレスで鬱になり服薬生活を送ろうが幸せということになる。
- 結婚して家庭を築き幸せなら、後に浮気や不倫で家庭が崩壊しようとも、子供や相手が病に倒れ早くにこの世を去っても幸せということである。
「そんなわけないだろ」と思うのであれば、仕事の成功や結婚なんてものは「幸せの幻想」でしかない。人生のほんの一瞬を切り取っただけの幻だ。
そんな幻想に焦点を当てバカみたいに焦っていたのはどこのだれだ?という話になる。
しかし、焦点を「幸せの幻想」ではなく「今という幸せ」に当てるならば、その人間は今すぐ幸せになることができる。
それも「今という幸せ」に当て続ける限り、その幸せは保証される。
焦る必要がなくなる。焦らない人間には運が回りやすくなる。時間を味方につけるからだ。
「多くの人間が抱く幸せは幻想である」と知った以上、それでも追い求めるのは自由だがあくまで幻想なのだ。
例えるなら自慰や性行為と同じで「その時限りの快感」である。
だから焦らずに構えて、それがやってきたなら選択肢として受け取ってもいい。
- 仕事で成功してもいいし、成功とは無縁に淡々とした日々を生きてもいい。
- 結婚して家庭を築いてもいいし、生涯独身として生きる道を歩んでもいい。
「今という幸せ」に焦点が当たり続けている人にとっては「まぁどっちでもいいけど」という気分になってしまうのだ。
なぜなら、どっちに転んでも「今という幸せに焦点を当て続けるだけ」なのだから。自分は何も変わらない。
しかし、そうはいられない人達は「幸せの幻想」を追い続け、それが至高であるかのように他人に幻想の素晴らしさを説く。
いま焦っているのであれば、焦っている自分に気づくことだ。
「焦っている自分」が不快だと思うなら、今すぐ「今という幸せ」に焦点を当てるべきだ。
<補足>今という幸せを「現状に満足しろってこと?」と解釈する人について
上記のような解釈をする人は前提として「自分は徹底的に不幸の側にして、不足の側にいる」と決め込んでいる。
その思い込みが既に間違いであるから「現状に満足しろ」みたいな理解しかできないのだ。
物事は陰陽で裏表である。徹底的に不幸で徹底的に不足などあり得ないのだ。
あり得ない時点でどちらも良く、どちらも悪い。
「あんたはどっちを意識するの?」という話に過ぎない。
例えばだが、よく趣味を仕事にした人で「仕事になってから楽しくなくなった」という話を聞いたことがあるだろう。
裏を返せば「趣味のままでいたほうが気楽に楽しめた」ということである。しかし、趣味でやっていた頃の彼は「仕事にしたい」と望んでいたのだ。
この人は最初から最後まで幻想を見続けている。
今という幸せに焦点を当てていたなら、どっちにいても幸せなのだ。