おそらく誰もが一度は考えたことがあるだろう。
「人間と猿がセックスしたら子供はできるのか?」
ネットで検索すると結論はすぐにでる。
1920年代に、ソビエトの生物学者イリヤ・イワノフは、チンパンジーやオランウータンを含む何匹ものサルに自分の精子を注入した。
もっと気味の悪いことに、彼は人間のボランティアにサルの精液を受精させることを試みたんだ。
いいニュースは、彼はそれを失敗したってこと。
これを読み「1920年代に結論は出てたんだ。人間と猿で子供をつくるなんて無理なんだ」で終わる人はテレビ脳である。
別に筆者は上記の引用をウソと言いたい訳ではない。
実際にどれだけの研究者が「無理であるという検証実験」をしたのか不明だが、説明できる形で「無理だ」と決着がついている。
しかし、仮に人間と猿で交配し新たな生物が生まれたとして「そんなこと公表できる訳がない」という視点が重要である。
そんなことを公表したら「野生の猿を捕まえて孕ませたい」や「猿の子供を産みたい」というアブノーマルな連中がとんでもない行動に出るだろう。
動物虐待になるのかレイプになるのか知らないが、獣姦という人間以外との性行為に関心のある人間が昔から存在し続けている以上、可能性は限りなく高い。(筆者には理解できないが)
交配可能という事実を知った瞬間に興味を持ち始める人間もいるだろう。
故に、もし人間と猿で交配可能だとしてもそんな事実は公表されるのだろうか。
結論がどちらであろうと公には「NO」しかないのだ。
繰り返し言うが「人間と猿が交配できないはウソ」と言っている訳ではない。
「そんなことをみんなが知ったら大変なことになる」という結論が想像できるものは、それが事実であれ絶対に「嘘である・あり得ない」として教えられるのだ。
昨今分野を問わず「それ大丈夫なのか?」という実験まがいの代物が多数ゴリ押しされているが、仮にヤバい事実があっても「(わかっちゃいるけど)そんなこと認められる訳がない」のである。
大騒ぎになるのが目に見えているのだから。
もちろん「本当に安全だった」というパターンもある。それを知るには時間がかかる。
知識も経験も環境も持たない一般庶民はただ「言える訳がない」という構図を知り、時間の経過を待つしかやり過ごす術はないのだ。