へのへのもへじ

偉そうに思う事を書くだけ

二言目には「主語がデカい」と言う人

昔、「あー主語ね、なるほど」と思った言い回しだが、筆者個人は使ったことがない。

それ自体は「個人の意見をまるで不特定多数の総意であるかのように言う人」を表現する言葉として端的な言い回しではある。

 

 

が、最近は専ら「まともに思考できてなさそうな奴が優越感に浸るために使う8切りワードだな」と思うようになってきた。

 

「8切りワード」とは大富豪におけるルールの1つである8切りから得た筆者の造語である。

8を出せばその場を強制的に流せるように「主語がデカい」と言っておけばその主張や人物はそれ以上考える価値がない戯言として強制終了できる。

 

その他の8切りワードとしては「陰謀論」などがある。

 

 

そもそも「主語がデカい」という指摘自体にも(某論破芸人風に反論するなら)「なんかソースあるんですか?」と言えてしまい、ソースが自分だと言うなら「(主語がデカいって主張が)あなたの感想ですよね?」となる。

 

もちろん主語がデカいと言われる側も大いに自身の思い込みを乗せている事は往々にあるため上記の反論は叶わないが、だからといって「主語がデカい」と揶揄するなら、デカい根拠(統計というソース)を示す必要があるのではないか?

 

でなければ「主語がデカい」という言葉もまた個人の思い込み・決め付けに過ぎないということになる。

結局どちらもソースなしで言い合ってるのでは小学生の「お前はバカだ!」に対する「バカって言う方がバカだ!」の掛け合いと何も変わらない。

 

きっと「主語がデカい」を愛用するような人間は「ソースは?」など、情報の出所や正確性を他人に強要するタイプの性格だと考えるが、もしそうであるならなおさら「インテリ気取るならお前が先に主語がデカいソース出してから叩けよ」という話だ。

 

子供の思い込みや先入観に対して、データを提示してツッコミを入れられるのが大人のあるべき姿であるなら「喧嘩は同レベルでしか起きない」が見事に証明されたとも言えるが。

 

 

つまるところ「ソースの提示はできないが相手をねじ伏せ優越感に浸りたい」という感情からこのような暗に攻撃性を秘めたワードが開発されるのだろう。