へのへのもへじ

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【令和最新】意にそぐわない相手をいち早くクレーマー認定するのが令和のクレーマー

日本は長らく「クレーマー大国」や「クレーマー気質」という事を指摘されてきた。

それは海外のみならず、国内にいる日本人が日本人に思っていることでもある。

 

モンスターペアレントなんて言葉もそこから派生したものだろう。

昨今その流れはさらに幼稚化した形で顕在化している。

 

 

何か言われればすぐクレーマーだと騒ぎ出す「頑張ってる僕(私)に口答えすんなマン」

日本人はとかく自己肯定感が低いと言われている。

極端に自信がなく、自分を強く主張することを避け調和を考える傾向にあると言う。

 

それは創作の分野にも現れており、恐らく日本は「世界トップレベルで予防線を貼りたがるクリエイターを数多く抱えている人種」でもあろう。

 

その流れだろうか、割とまともで建設的な意見さえもクレーム認定する幼稚な大人が増えたように思う。

 

要するに「否定はいらない。賞賛だけよこせ。」という精神性からくるものだろう。

 

 

承認欲求という言葉が一時期よく用いられていたが、昨今は何事もファスト思考であり「コスパ良く、タイパ良く、人から認められ、褒められる自分」を目指すようになると、結局右に左にとフワフワした人間になる。

 

その無意味さを気づかせてくれる言葉さえも「否定的な意見」として耳を貸さないばかりかクレーム認定、ひどい人だと誹謗中傷というレッテルを貼りに行くまである。

 

とにかく、否定の含んだものを受け取る気がない。

そういう人たちは筆者がよく書いている「大衆を惹きつけるルール」に見事に合致する。

 

  • 私たちの気持ちを代弁してくれる
  • 私たちの快感を増幅させてくれる
  • 私たちに無敵感を与えてくれる
  • 私たちに嫌なことを考えさせない
  • 私たちが正解であると思わせてくれる
  • 私たちを裏切らない

 

 

自分の意にそぐわない相手をいち早くクレーマー認定して被害者ズラするのが令和の戦術

これはネットの世界だと第三者同士がある対象について揉める形にまで発展する。

 

例えば、Aさんが投稿したある動画について、ファンのBさんがコメントしたとする。

 

Bさん「音割れしていて聞きにくいです。もう少しマイクの設定を変えてみてはいかがでしょうか。」

 

これに対し、ファンのCさんはBさんのコメントにリプを飛ばす。

 

Cさん「Aさん頑張ってるのになんでそういうこと言うかな?世の中にクレーマーが多い理由がわかった気がしたわ。」

 

といった具合だ。ここで言うCさんは「なんでもクレーマー認定する令和のヤバい奴」だと筆者は考える

 

令和の時代は平成に言われた様な単なる「理不尽クレーマー」だけではなく「意にそぐわない相手をクレーマー認定して相手を貶めるクレーマー」がトレンドになるのだ。

 

 

こんな事を書くと一部から「お前(筆者)もまた自分の意にそぐわない奴をクレーマー認定するような記事書いてるじゃねーか、お前もクレーマーだ!」と刺されるだろう。

 

それを指摘し始めると、恐らく多くの人がしてきたであろう「最近クレーマー多いよね」という指摘さえも「クレーマーが多いというクレームをつけるクレーマー」になってしまう。

 

そこには明確な違いがあるのだが、(端的に言えば)話を受け取る側の器の大きさや倫理観・価値観によって判断が変わってしまうのだ。

 

このニュアンスが理解できないと「クレーマーが多いというクレームをつけるクレーマーがいるというクレームを主張するクレーマーがいるというクレームをつけるクレーマー」というように、永遠にフラクタルで被せて叩けてしまうので、そこを言い出すと永遠に終わらない。

 

分別いただきたい。

 

 

「バカと戦うな」という(自分の意にそぐわない人を)いち早くバカ認定して貶める戦術

そういえば、昔ブタ箱に入った実業家がそんな感じの本を出してたような気がするが、要するに今は「いち早く相手にレッテルを貼ったもの勝ちの世界」という訳である。

 

この理屈がわかれば、なぜこんなにも「陰謀論だ!陰謀論者だ!」と騒ぐ輩が多いのかもわかるであろう。

 

日本人は自己肯定感が低いというのであれば、当然レッテル貼りに弱い人が多いと読める。

(自分で自分を認められない=他人に承認を求める=他人からのマイナスなレッテル貼りは避けたい)

 

だから有名人や政治家、医者など権威に縋ってしまうし、陰湿気質だから同じ方向を向かないものは「いじめてもいい」という気持ちを持ち始める。

 

「こんな民族さっさと滅びた方がいいかもしれない」と思えなくもないが、もちろん筋の通った尊敬に値する日本人もたくさんいるので彼らが幅を効かせる社会になってほしいものだ。