へのへのもへじ

不快に思うのであれば、君はそうなんだろう

「危機感がない人」とは?「危機感を持て」と説得するのは馬鹿

「危機感持ったほうがいい」

昨今ネットでこの言葉をキメて有名になった人がいたが、元々は上の立場にある人間が下の人間に言う言葉として定番だ。

 

学生時代は教師がよく「危機感を持て」と生徒に言っていたし、会社では社長や上司が部下や社員に言うらしい。

 

しかし、これほど無駄で無意味な言葉はない。

 

危機感がないのは、そこに期待がないからだ

「危機感を持て」という言葉は大体「自分自身の現状に危機感を持て」という意味で使われる。

 

  • 大会が迫っているのにまるで練習に気合いが入っていない
  • 試験が近いのにまるで勉強をしていない
  • 遊び呆けていて自身の将来をまるで考えているように思えない
  • 現状維持で日々坦々と過ごしている

 

およそこのような現状を見かねて「危機感を持て!」と喝を入れる訳だが、その現状は過程ではなく結果である。

 

つまり原因がすでにあって、その結果の「やる気のなさ」なのである。

原因を見ようとせずに「危機感を持て」で発破をかけるのはあまりにも愚かすぎる。

 

少なくとも相手を理解する気などさらさら無いのがわかる。

 

 

じゃあその原因は何か?

  • 他のことに興味がある(恋愛や趣味)
  • 頑張れない理由がある(同僚や上司に不満、会社の待遇や給料に不満)

 

およそこんなパターンが多いが、大雑把に言えばそこに期待がないからだ。

一言で言えば「どうでもいい」のだ。

 

どうでもいい人になら嫌われてもいいが、好きな人に嫌われたらショックだろう。

好かれたいという期待があるから「変なこと言ったら嫌われるかも」という危機感が芽生える。

 

 

どうでもいい集団のどうでもいい上司から「危機感を持て」と言われている。

上司も上司でそうなった原因にアプローチしないのだから永遠に分かり合えない。

 

 

他人にあてがう自分の危機センサーは当てにならない

そもそも危機感というものは当てにならない。

なぜなら他人を自分の危機センサーで測って危機感がどうだの言っているからだ。

 

世の中には「そんな生活でどうして破綻しないの?」という人間がゴマンといる。

 

例えば、ギャンブル中毒な奴はしばしば人から金を借りているが、何故そういう人間に(都合よく)金を貸す知人友人恋人がいるのだろうか?

 

そういう縁があるのだろうか?

 

それはその人間が何かしらの特殊能力を持っているからである。

人当たりの良さや、喋りの巧さ、放っておけない人柄などが当てはまる。

 

逆に考えれば、金を貸す人間が皆無になったら嫌でも危機感が芽生えるだろう。金を貸す人間がいる限り危機感は芽生えない。何を言っても無駄である。

 

危機センサーが鋭い人は「そんな生活長くは続かない!ギャンブルはやめて真っ当になれ」などと言うが、それはあくまでそいつの能力でその人生をシミュレーションした場合である。

 

危機センサーは人によって違ううえ、個人が持つ能力も加味しなければ正確なシミュレーションはできないだろう。他人には無理である。

 

 

危機感を抱きすぎる人間も大変である

「でも危機感を持つことは悪いことじゃないだろう」

そういう人もいるかもしれないが、物事は良し悪し両面である。

 

危機センサーが過敏だと「考えすぎ」というダマシも多くなりやすい。

無駄に危機意識を持って不安を抱え、取り越し苦労するのだ。

 

将来の不安に備えるために今を楽しまない人がそうだ。

「今頑張れば後で楽になる」は必ずしも真理ではない。

「今頑張って後で病気になる」というパターンだってある。

 

 

そもそも危機感は芽生えるもので、意識的に持つものではない。

だから「危機感を持て」と言われて「はい持ちます」と持てるようなものではないのだ。