レビューや口コミ、あるいはYoutubeなどのコメントは受け手がモノを言う絶好の機会である。
そこでの筆者の気づきを共有しようと思う。
レビューやコメントで「うーん」を使うおかしさ
もしこれを目にした方は次回から意識して見てみるとよい。
ネットのレビューやコメントのタイトルが「うーん」の奴、あるいは書き出しが「うーん」の奴はやたら鼻につく。
どんなレビューか具体的にイメージできない人のためにレビュー例文も置いておく。
うーん
うーん、なんというかわかりにくいって感じでした。
私自身はもう少し体系的な解説があると思って買ったのでお金を損した気分です。このシリーズはもう買わないと思います。
そもそも「うーん」とは思考している、悩んでいる状況を伝える表現であり、これはリアルタイムな他者との会話で出てくるものである。
考えたり、悩んでいて無言になってしまう間を「うーん」で引き延ばす目的だ。
あるいはその考える間の最中、暗に懐疑的・否定的なニュアンスを持たせる効果もある。
例)部下が上司に提案したら、上司は渋い顔で「うーん、そうだねぇ。それは難しいかなぁ・・・」と言った
これを、打ち込んだ内容をいくらでも修正、確認できるネットのレビューやコメントで使う思考が既におかしい。
必要がないのだ。
好き勝手に読み返し、書き直しができる環境では「うーん」と文章で伝える必要がない。
小説で会話シーンを再現するなら別だが、レビューなどはリアルで悩み考えた後の文章だけ書き記せばいいと思わないだろうか?
語彙の無さ、言語能力の低さを「うーん」で覆い隠す
このようなレビューやコメントを見ていると、「うーん使い」は表現能力に乏しい人であることがわかる。
そもそも脳内で主張がまとまっているなら「うーん」は文字として出てきようがない。
まとまった内容をそのまま書き記せばいいので、直接本題に入るだろう。
しかし、レビューやコメントという相手と直接相対することのない環境でそれが出てくるということは、脳内で言葉が組み立てられていない。
そのくせ何か書きたい欲求だけ突っ走っている。
だから無駄な文字を入れ、少しでも文章量を増やそうとする。
これでは余計なワードを入れて文章量を稼ぐ、小学生の読書感想文と何が違うのだろうか?といった具合である。
子供ならまだしも、大人がそれをしているのだ。ロクな自覚もなく。
しかし、「うーん」をメリットと考え使っている人もいると筆者は考える。
覆い隠した結果「うーん」と言えば、知ったかぶりできる(という発見)
そもそも文章表現能力の乏しさ自覚している人なら「レビューもコメントもしない人」になるだけなのだ。そういう人は多いだろう。
しかし、その一部はそれでも「レビューやコメントで一言物申したい欲求」が旺盛なのである。
この感情を伝え、相手に一言申すためにどう書いてやろうか悩みあぐねて「うーん」から始まるのだ。
そして、この「うーん」には思いのほか多様な感情や意味を暗に込められると知る。
要するに「あえて多く語らない、わかってる人」風を装える訳だ。
知識や経験の無い人間が語るとボロが出る。それでも語りたいとなるとホラッチョ川上のような、色々言ってるけど核心が掴めない言い回しをするほかない。
やたらとカタカナ言葉で専門性を気取るオールドスタイルの意識高い系とも似ている。
その初期段階として「うーん」と言えば含みのある前置きになり「自分は問題点をわかっているけど、あえて切り込まない思慮深さがある」というインテリチックな方向性を意図して使い始める。
これは思慮深さではなく単に表現能力が乏しいだけのバカの勘違いなのだが、やたら鼻につくので筆者はこの記事で主張するに至った。
よく社内会議をしたとき、ロクに主張も代案も出さないくせに渋い顔をしながら頭をかかえて「その方向性はどうなんだろうアピール」をする金魚のフンみたいなクソキモ社員がどの会社にも1人くらいいる。それと同じである。
そういえばYahoo!は少し前、トピックスのリアクションボタンを下記のようにリニューアルしたが、このことをよくわかっているようだ。
「共感しない」でも「違うと思う」でもなく「うーん」なのだ。
Yahoo!は「うーん」という言葉の中にあらゆる負の感情を内包できることを逆手にとって、反対表明をよりマイルドにしたように思う。
筆者はこれに関して否定的である。(というか筆者はYahoo!という企業やグループ全体に不信感がある)
良いことは「素晴らしい!」と振り切って褒め称えるクセに、間違ったことや悪いことには「それってどうなんだろうねぇ?」とマイルドに着地させようとする社会はおかしいだろう。